~エッセイ~私たちの労働・生活・社会
その5 中国における言論の自由の不在 (10.10.28記)
現時点の中国の国家体制にどんな事情があるにせよ、私たちがやはりどうしても指弾しつづけたいことは、自由な言論と表現活動のまぎれもない封殺である。その領域は実に多方面にわたると思われるけれど、ここでは二つにしぼって紹介してみよう。
ひとつは、「万里の長城」をもじって「グレート・ファイアウォール」ともよばれる「金楯工程」、すなわち中国国内のインターネット利用者に対して、現体制や「社会秩序」にとって不都合な情報にアクセスできないように、政府が接続規制や遮断をもってフィルターをかける措置である。あえてそこにアクセスして応答・発信を試みる行為は、個人レベルでもモニタリング(監視)されるのだ。技術的にも徐々に精緻化され北京五輪を前には完成をみたこの制度では、数万人に及ぶ検閲官が日夜、このネットの監視・検閲に目を光らせる。当局はあきらかに、ネットに噴出する若者の自由な発言を怖れている。そのうえ厭わしいことに、「当局は数年前から、1件あたり、5毛(約6円)の報酬で体制よりの発言を書き込むネット評論員『五毛党』を大量動員し、世論誘導を図っている」(日本経済新聞10月24日付)という。
これまで検閲対象として「接続遮断」の憂き目に遭った有力ウェブサイトは、たとえば、ウィキペディア系、グーグル系、ツィッター、2チャンネル、BBC、ヴォイス・オブ・アメリカ、香港・台湾系の政党・報道機関、アメリカ国務省、国境なき記者団、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ・・・など広汎に及ぶ。そのうちいくつかは、おそらくビジネス上の妥協などによる内容修正を中国当局に評価されて、現時点では接続可能に戻ってはいるけれども。
では、接続が制限されているテーマやキーワードはなにか。列挙すれば天安門事件、法輪功、チベット独立、中国の歴史(文化大革命、大躍進、毛沢東)、「民主政治」や「多党制」、「中国共産党」や「専制」などが数えられる。NHKスペシャル「激流中国」や劉暁波なんかもリストに入る。たとえば「チベット」というキーワードでは検索できても、「チベット」に「人権」が続くともう切断されるというわけだ。この文書をふくむ私のサイトなど、どんなに影響力がなくてもむろんもってのほかであろう。さらに興味ぶかいことに、「公金の使用」、賄賂、私的な「密輸」などもタブーという。共産党統治の正当性に疑問を投げかけかねないテーマの考察のみならず、為政者の不当な行為の告発も、おそらくは今の地方行政官や党指導者の権威を損ねる、ひいては現在の支配体制への信頼を失わせるものとみなされていることがわかる。
この最後の点にもかかわって、もうひとつ、いっそう専制的な措置を検討しよう。「労働教養制度」、すなわち、行政機関である地方政府の「労働教養管理委員会」が裁判や弁護士の弁護なしに収容を決定できる制度がそれである。
警察当局は、「深刻な違法行為だが犯罪とは言えない行為や軽微な犯罪行為」を犯したとみなす人を、3年以下(1年間は延長可能)拘留できる。決定に不服ならば行政訴訟はできるとはいえ、家族や弁護士の面会もままならぬうえ、警察と裁判所を指導する共産党は同部門なので「身内」の決定を覆す判断はまず出ないという。要するに、法的な罪状の認否なく最長4年も拘留されることがありうるのだ。
朝日新聞9月24日付(古谷浩一記者)が、この制度を紹介し、北京の外資系キャリアーウーマンであった野靖環(57歳)の体験をくわしく聴きとっている。彼女は07年3月、投資した会社の倒産処理をめぐってなかま15人とともに政府に訴えようとしたところ、デモの首謀者として刑事拘束され、拘置所に送られた。そして裁判もなく容疑事実もわからぬまま「社会秩序を乱した」として、実に1年9ヶ月、労働教養所に収容されるのである。いっさいの人権を認められない過酷な拘束の日々だった。
2段ベッド、鉄格子、監視カメラつきの房に、売春容疑の16歳の少女、法輪功の老女(70歳)らと同居する。窓際とドアに1m以上近づくこと、午前2回、午後2回の定刻のトイレ使用のうち午前6時に大便することは許されない。6時の起床から22時の消灯までほとんどの時間は労働作業だった。割り箸を袋に入れる単純作業で1日のノルマは1万個。納期が迫ると作業は零時まで続き睡眠時間が削られる。むろん報酬はない。看守の怒りにふれると、発言も身動きさえ許されずに白壁に向かって座り続けるという罰を受ける・・・。この記事はまた、勤務する役所の腐敗行為を匿名で訴えた結果、「政府機関の正常な業務を妨げた」として、1年間収容された東北地方の女性(47歳)の体験も伝えている。そこでは身の回り品を所持できず業者から買わねばならない。そこは「刑務所よりもひどい。人権などどこにもない地獄」だった。
政府の資料によれば、労働教養所は全国に約350箇所、収容者は16万人に上るという。政府に対する抗議デモや地方官吏の不正を北京へ訴える「上訪」ゆえの収監が増える事態に対して、さすがに弁護士たちは労働教養制度の廃止を唱え、中央政府もこの制度の運用面だけを改革する「違法行為教育矯正法」の立法化を計画中である。とはいえ、自分たちに不都合な「上訪」を妨げようとする地方権力は恣意的な運用のできる労働教養制度にやはり固執したい。制度撤廃への道はなお遠いように思われる。
欧米先進国ではすでに、裁判による法的な罪状認定なくしては何人も拘束を受けることはないという合意がある。イギリスではテロ活動の容疑者の拘束期間を大幅に延長しようとするテロ防止法改正案に、私の記憶では、なんと貴族院が上の「合意」を論拠として、そんな措置は「中世このかた絶えてない」と反対したくらいだ。中国はいつまで、このような合意は欧米的な人権観にすぎないと言い続けるつもりだろうか。
私たちの国では、もちろん三権分立は戦前から確立しており、現憲法は言論・表現の自由を保障し、検閲を禁止し、通信の秘密は「侵してはならない」と規定している。
けれども、この意味での人権尊重はいま、果たして社会の隅々にまで徹底しているだろうか。たとえば企業内では、そこでの権力者である経営側の、業務上の必要性も疑わしい一方的な評価によって、労働者の批判的な発言や些細なビヘイビアが問題視され、不利益処分の事由とされる事例がいくらもある。「ブラック会社」のわきまえのない「指揮命令」はもとより、大会社JR西日本の「日勤教育」なども思い起こしたい。そこでは、きわめて些細なミス、ときにはさして不適切ではないけれど「マニュアルにはない」行動までが咎められ、当の労働者は日常業務を外され、何人かの職制に囲まれて何日間も、くりかえし反省文を書かされたりするのだ。必要な「教育」期間は会社が一方的に決める。民主主義は多くの職場の門前で立ちすくんでいる。
公務員が休日や勤務時間外に政党活動をすることも、公務に支障や偏向の生じないかぎり、その禁止になんら憲法上の正当性はない。あらためて問う、なぜ違法なのか?
人権の危うい領域が限られており、その程度もさほどでないからといって、やがては過去の遺物になってゆくだろう中国の人権抑圧を嗤う資格は、日本にはまだない。








