~エッセイ~私たちの労働・生活・社会



その8 熱中症に斃れる困窮の高齢者

2010年8月15日、76歳のもと大工・無職の佐藤孝夫(仮名)が、さいたま市の2DKの自宅で死亡した。その日の正午ごろ発熱して床に就いた佐藤は、同居する48歳の長男、満夫(仮名)が近くの薬局で買ってきた氷と解熱剤で「表情が和らいだ」ものの夕方になると苦しみはじめ、そのまま死にいたる。猛暑のその日、さいたま市では午前9時にはもう31度、佐藤の死亡時の直腸内の温度は39度だったという。熱中症による死であった。

30数年前に妻を亡くして満夫とふたり暮らしであった佐藤家では、エアコンも冷蔵庫も稼働していなかった。10年ほど前から電気もガスも電話も解約していたからだ。むろん極度の貧困のためである。長男の満夫はといえば、15年ほど前に運送会社の仕事を失ってからは無職だった。失職の原因となった腰痛のためか再就職もかなわなかった。ふたりの生活はそれゆえ、2ヶ月で十数万円ほどの孝夫の年金だけに頼っていた。月5万5千円の家賃を払うと、食費以外にはほとんど残らない。孝夫は猛暑が襲った7月半ば以来体調を崩していたが、思うに病院に通うこともまずなかっただろう。水道だけは解約していなかった父と長男は、まとめ買いして自転車で運んだ食品をカセットコンロで煮炊きしていた(以上の事実については、用いた仮名を除き『朝日新聞』2010.8.20。署名:石橋昌也、河野正樹)。電灯の明かるさもテレビの華やぎもない夜。このような家族の生活が現代の日本にありえたこと、65年目の終戦記念日、このような一庶民のたかが猛暑を直因とする惨めな死がありえたことを、私たちは想像できるだろうか。衝撃を感じずにはいられない。


産業社会の構造的なひずみはかならず個人の受難として現れる。それゆえ、私たちは特定の個人の「不幸」を細部にわたって凝視することを通じて、いま日本の少なからぬ人びとに共通する幾多の生きがたさへの認識にいたることができる。佐藤家の父子は必要なときにHELP US!と声をあげることになじまない、かたくなで不器用な生活者であり、だから上のような不幸も「例外的」なものに思われるかもしれない。しかしそれにしても、彼らの受難をひとえに「自己責任」と切り捨てることは許されないだろう。佐藤家の悲劇から現代日本の抱えるさまざまの問題点が透けてみえる。

たとえば、周知のように、10年10月、生活保護の受給世帯数は史上最高の約142万、受給人数は史上3位の196万人になった。19政令都市のほとんどが増え続ける保護費のために自治体財政が火の車になって、悲鳴を上げている。だから自治体はどうしても窓口規制に腐心する。佐藤孝夫も10年ほど前に生活保護を申請したが、若い職員に無下に門前払いされ、その屈辱感から二度と役所に足を運ばなかったという。担当の民生委員はこの2年間、孝夫にも満夫にも会わず、ふたりで同居していることに安心して、佐藤の生活の危機を見逃した。今となれば、長男が失職、家賃を差し引けば月に数万くらいの生活費、そしてなによりも電気、ガス、電話も使えない状況であれば、ほとんど無条件で生活保護が支給されただろうと思われる。市の福祉課を中心とする関係者の、客観的には事態の深刻さを傍観した鈍感さは否定できない。

一方、国民年金の水準は、安定した雇用関係にあった人の受け取る厚生年金よりもはるかに低い。そのうえ国民年金について、私たちは40年間保険料を支払った場合の満額──それでも月6.6万円!──を想定しがちであるが、09年の実際の受給額は平均4.8万円、最頻値は3万~4万円にすぎない。現役時代に低所得のため保険料を免除されていた期間があるからだ(以上『朝日新聞』2009.8.22)。ちなみに、若者の収入不足や政治不信などさまざまな理由によって、国民年金の納付率は09年4月~11月、これまた史上最低の58.8%に落ち込んでいる(厚労省発表)。年金では生活できないという目前の事態は、将来、確実により深刻化する。

年金が収入の圧倒的比率を占める高齢者世帯の所得格差は大きい。ジニ係数の高まりはすぐれて高齢者世帯の増加のゆえとみなされるくらいだ。少し前の数値ながら『高齢者白書』によれば06年、高齢者世帯の平均年収は302万円、中位数は240万円であった。しかし100万円未満は16%、200万円までは累計43%である。多くの高齢者は、持家があっても資産の取崩しがなければ生活は覚束ない。その資産はといえば、ここでの格差はいっそう巨大である。調査会社ジー・エフの世帯主60~70代の預貯金調査では、2000万円以上の世帯は13%にのぼり、ゆたかな老人は一定たしかに存在する。だが、「預貯金なし」は12%、100万円未満は累計24%なのである(『日本経済新聞』2010年10月10日)。

以上を要するに生活に困窮するお年寄りは少なくない。生活保護受給者のうち高齢者が約40%を占めるのも当然であろう。その波頭をみる。2010年には、20年来増え続けている高齢者の万引きが27000件余に達した。これもまた史上最多であった。


佐藤家の悲劇からみえてくるもうひとつの、ある意味ではより注目すべき点は、48歳の長男満夫の長期の失業である。満夫がいつまで雇用保険を受けていたのか、「15年」のうちいつまでが再就職に奔走する「完全失業者」であり、いつから、35歳まではニートとよばれる「無業者」であったか──つまり正確な職歴は不明である。もっとよく知りたいという思いに駆られる。

それでも、このような推測は可能であろう。前職の運送会社での仕事はおそらくトラック運転と荷積み・荷下ろしを兼ねた過重労働であって、彼はそれで腰を痛めたのだ。この業界は現場労働の激務に多少とも不向きになった労働者を間接部門などに配転させて雇用を継続できるほどの経営余力を欠く中小企業が多く、満夫はおよそ95年頃、30代前半で退社せざるをえなかったものと思われる。再就職は容易でなかっただろう。『職業安定業務統計』によれば、95年、30代前半の常用パートをふくむ有効求人倍率はなお1.09であったが、この数値はその後、年を追うごとに、年齢が高まるとともにほとんど一直線に低下し、09年の40代後半では0.40になる。まして満夫の場合、傷害の程度はやはり明らかでないとはいえ、腰の不具合が働ける職場をかなり限定したに違いない。満夫は平成不況が深化し継続するなかで、ハローワークに通ってもまともに再就職できない体験が重なり、その過程で徐々に求職意欲を失って、その結果、父の乏しい年金にパラサイトするようになっていったかにみえる。

この過程はいま、より後の世代である「ロスジェネ」が、初職の喪失⇒くりかえす不安定雇用⇒ニート・無業者となる軌跡として、より大規模に再生産されている。その間のいくつかの時点ではおそらく「他にやりようがあった」と指摘することはできるけれども、労働市場の非情の現状を与件とするかぎり、新卒者でない求職者が働く意欲を失ってゆくことをひとえに自己責任と断じることはできない。


2009~10年、生活保護世帯数、高齢者の万引きは史上最多、国民年金納付率、40代の有効求人倍率は史上最低であった。佐藤孝夫の事件はこうした史上「最多」または「最低」の社会的状況に、503人もの熱中症の死者(NHK調べ)をもたらした、これまた史上最高の猛暑が襲いかかったところに生まれた悲劇であった。

2010年はまた、高齢者の「行方不明」の頻発と、年間3万2000人にのぼる無縁死・孤独死がはじめて認知された年であった。朝日川柳に言う、「国中が楢山だったこの列島」。「孤族元年」である。しかし佐藤孝夫は少なくとも長男の満夫に看取られて死んだ。そこになおひとつの救いがあったというべきか。
(初出:鳥取県人権情報センター『架橋』24号)