~エッセイ~私たちの労働・生活・社会



その10 原発の復旧作業は誰が担っているのか(2) (2011.6.23記)

およそ300種類にのぼるという原発関連の仕事は、A作業:制御室での計器監視、B作業群:主要な機器や制御系の保守・点検・修理・更新、C作業群:建屋のほかダクト、パイプなど多様な設備にまつわる放射線汚染の除去、汚染水処理、清掃と用品のラウンドリー、運搬などにひとまず大別することができる。Aは、技術・事務・営業とともにもっぱら電力会社の正社員が担当するけれども、熟練と経験を要するBと未経験者にもできるCは、電力会社の委託による協力会社の業務だ。しかし少なくとも事故前は、協力会社の大手筋である関電工、東芝、日立、鹿島、大成建設などの社員がB、Cの作業群を現場で遂行しているわけではなかった。協力会社は「元請け」であって、現場作業はその傘下にある下請け⇒孫請け⇒ひ孫請け・・・に降ろされる。最後には数人グループの「人出し業」(親方)が作業員を集めてくるのだ。企業のランクが下がるにつれて、境界は不明瞭ながら作業内容も、BからCの比重が高まるのがふつうである。親方が作業の管理者(たいていはまず孫請けランクの企業の社員という)のもとへ連れてくるのは、一般作業Cか、熟練作業Bの「手元」(手伝い)に割当てられる人手「ハンズ」としての日雇労働者であった。

以上の叙述は、とりわけ多数の下請労働者が動員される定期検査に関する過去のドキュメントによる──参照した文献は末尾にまとめて示す──ものだ。78年12月末から2ヶ月ほど福島原発で働いた堀江邦夫の記録を読むと、いくらか具体的なイメージをえられる。堀江は、前の職場、美浜原発の定期検査では機器の粉塵除去など(C作業群)が主であったが、福島では、人入れ手配人、神山工業に誘われ、大手バルブメーカーの下請けであるウチダバルブ社の一員として、1号機や2号機の主としてタービン建屋内で、実にさまざまの調節弁やバルブの組込み、分解、錆落し、サンドペーパーがけ、搬出、取替え(B作業群またはその「手元」)などに従事している。ちなみに堀江は、次の職場、敦賀原発では、やはり神山工業の一員として、日立プラント⇒原山電工⇒竹井工業と下請けされてくる作業につき、原子炉格納容器内で、わけても原子炉圧力容器の真下で、配線や制御棒稼働機構の交換などにも携わっている。高レベルの放射線のため、長くても1時間しか作業を続けられない作業であった。仕事を説明する日立社員が格納容器内に入ることはなかったという。


過去のことを記したのは、現時点の「復旧」作業については、具体的にどのような雇用形態の労働者がどのような作業を遂行しているかを伝える報道がほとんどないからだ。前回にも書いたように確かに今は、東電社員や元請大企業の社員が危険な前線に立っている比率は、定期検査時より高いかもしれない。だが、必要な作業の慣れという点からみても、下請労働者が多数動員されていることはまず疑いを容れまい。その稼働人数はこれまで伏せられていた(!?)が、被曝の報告が相次ぐなか、遅ればせながら5月末から始められた厚労省の元請会社22社への聞き取り調査によれば、下請け1次は162社・1428人、2次は267社・1542人、3次は161社・894人、4次は42社・227人。元請けもあわせた労働者数は5178人を数えた(朝日新聞6.22)。当然であろう。たとえば格納容器、調節弁、バルブ、配管などの損傷の予測やその修復の方途については、設備近くに接近した経験の乏しい東電社員や大手電機会社社員には、下請け労働者よりもわからないことが多いのではないか。

このような作業員の給源についてもある程度のことはわかる。それは、東電社員でも、B作業、C作業の担い手においても、「地元」出身者の比重が高いことである。

東京電力福島原発は、第一次産業の相対的衰退とともに深刻な過疎化に悩んできた福島県では、ましてそのなかでも「福島県のチベット」とよばれもした浜通り地区では、原発立地の70年代以来ほとんど唯一の雇用先であった。建設後も継続的に運転保守の仕事需要がある。09年、福島原発の関連企業には福島県内で9300人の雇用口があった(朝日新聞6.21)。原発に生計を頼る人も数多い。たとえば6町2村で人口7.2万人の双葉郡の2世帯に1人は福島原発で働いていたという(産経ニュース3.30)。

それまで福島県の若者は集団就職によって東京に移住し、農業の父親や夫は毎年の農閑期には全国の建設現場や工場へ出稼ぎに赴いたものだった。原発は国策の電源三法にもとづく交付金によって少なくとも一定期間は貧しい地域の財政を潤したばかりか、人びとに、保障や雇用身分や作業の危険度からみた雇用の質はともかく、家族とともに故郷にあって働くことを可能にしたのだ。幸運にも高賃金の東電社員になった人のみではない。溶接工、配管工、とび職といった技能をもつ作業群Bのブルーカラーや、農業を離れて作業群Cにつく不熟練工を主体とする下請け労働者も、たとえば東電は1人あたり7万円支出するのに彼の手に渡るのは1万円といった重層的雇用構造のなかでのピンハネがあるにも関わらず、その現金収入の機会を大切に思って懸命に働いてきたのである。

もちろん被曝の危険性は下請け作業の場合いっそう高い。「かなり前」の定期検査時には、被曝量の限度を示すアラームが鳴っても仕事を続けた、ノルマがあり、時間内に仕事を終えねば契約額の減額などのペナルティがあるからだ──ある下請け労働者はそう述懐する(朝日新聞3.26)。また、作業に実態をつぶさに語る堀江の記録によれば、高温多湿の環境、窮屈きわまるスペースのなかで息苦しい防護装備をつけたまま作業をするのはおそろしい苦痛であって、ときには被曝の危険を顧みず装備を外したくなる、実際にそうする人もあったという。そればかりか、放射線被曝の労災申請でもしようものなら、東電ににらまれて発注者から二度と仕事が回ってこないこともありうる。今回の事故のあとも、被曝の実態については下請け企業の関係者は一様に口が重く、「現場では箝口令が敷かれている」、「免責重要棟では周囲の東電社員に気兼ねして口をつぐむように」下請けの雇用会社から注意される(朝日新聞4.3、5.3、週間東洋経済4.23)。安全基準の適用はそして今、なし崩しに緩和されつつある。

それでも地元の下請け労働者は、被災者・避難者であっても、復旧作業のため会社に召集されればたいていは応じるという。自分のような歴戦のベテランでなければ故郷を救う仕事はできないという自負と愛郷心。召集がかかる間はまだ働けるというさめた予測。「お世話になってきた福島原発」を見すてられないという恩義。しかしこうした受容の大きな要素のひとつは、ここでも、いま拒めば次に仕事が来ないという不安である(東京新聞3.26、朝日新聞3.29、4.3)。「原発さえなければ」という現時点の痛恨を噛み殺して、「原発があったからこそ生活できた」という「恩義」を身を投じる人びと。今にして思えば、福島という過疎地ではこのように考えてくれる庶民たちが存在するという予測こそ、東電がゆたかな東京に電力を供給する原発の立地にここに選んだ理由でもあったかにみえる。

とはいえ、今回の事故処理のマンパワーは、もう地元だけでは賄えないだろう。定期検査時のような全国的な人集めがもうはじまっている。全国のワーキングプアもここで働ける・・・。この人集めや被曝の実態など、残されたこといくつかを次回に書く。

【参考文献】樋口健二写真集『原発』オリジン出版センター1979年 /堀江邦夫『原発労働記 』講談社文庫2011年/『POSSE 』11号(2011年)への木下武男、岡田知 弘、樋口健二、今野晴貴の寄稿など