~エッセイ~私たちの労働・生活・社会
その13 ハシズムとワーキングプア (2012.1.17記)
昨年11月27日の大阪市長選挙では、42歳の橋下徹が75万票・59%の得票を得て、多くの既存政党や労働団体の支持によって52万票・41%を得票した平松邦夫(62歳)を破った。このニュースについて私がとくに憂鬱に感じるのは、橋下の優越は60代まで全年齢階層に及んでいるが、20代、30代という若年層において7割ととくに高かったことである。なぜか? という割り切れない思いが執拗につきまとう。
これと関連して思い出されるのは、資料は紛失したが、たしかある新聞の「次の総理は誰になってほしいか」の世論調査で、石原慎太郎、橋下徹、小泉純一郎・・・が上位を占めたことだ。こんなのを不思議に思うのはもう「時代遅れ」なのだろうか。これらの「望まれる総理」の政治スタイルには共通点がある。その1は、どの方向であれ、とにかく「改革」を叫ぶこと、その2は、一種のカリスマ性というか、「引っ張っていってくれる行動力」がありそうなことである。そしてその3は、ある種のわかりやすさというか、社会科学的には充分に検討の余地あるシングルイシューの命題を、なんの譲歩節なく、単純な言葉で鼓吹することである。「敵」の設定を好むのも特徴的である。例えば橋下は、「地方公務員は敵か?」と桂ざこばに問われて、「今までやってきたことを守りたい、変えたくないという人が敵」と答えている。
世論はこの種の政治家を、政策の方向というよりは上述のような政治スタイルゆえに支持しているかにみえる。そのこと自体が民主主義にとって危機的である。そこで政治スタイルは一応別にして、今度は政策の方向はと問えば、橋下の場合いくつかの点でなお未知数であるが、やはり(1)新自由主義的な競争主義と、それと効率性という点で危うく接続する(2)行政統制主義と、大きなスタンスとしての(3)ナショナリズムということができよう。学校ごとに生徒の学力を競わせる、その目的に寄与するよう教員を査定・選別する、日の丸掲揚・君が代斉唱を教員に強制する、地方公務員の査定強化と労働条件カットを図り、それを妨げる公務員労組を抑える──すでに掲げられたこれらの政治目標には、このような方向性が込められている。既存政党では、頭ごなしに公務員の「既得権」を弾劾する「みんなの党」に近いといえよう。
ワーキングプアの累積する都市、大阪には、低賃金、非正規雇用の雇用不安、粗いセーフティネット、食えない若者を擁するだけの家庭の包容力の減衰・・・に苛まれる若者が少なくない。競争社会の「負け組」であることを刻印されるこれらの人びとは、高度な学歴、際立った出自、仕事の能力というよりは特別の才能、女性の場合には抜群の美貌など、成功を容易にする「競争資源」に恵まれていないのが普通だ。それゆえ、考えてみれば、この人びとの政治の選択は、競争を旨とする新自由主義よりはむしろ社会保障などを重視する社会民主主義に傾くはずである。では、なぜ橋下なのか?
もっとも、よるべないワーキングプアが、国内のやりきれない格差社会に生きてゆく鬱屈から、排外主義的なナショナリズムの熱狂的な支持者になってしまうことはよくある。しかし、今のところハシズムも排外主義的なナショナリズムに傾いているということはできまい。貧困層の政治選択は、「とにかくいい方向に引っ張っていってくれ」そうな政治スタイルに靡くとともに、奇妙にも競争を鼓吹する橋下の新自由主義的側面に無批判になる。
大胆に言えば、若者ワーキングプアを中心とする貧困層はひとつの「鬱憤晴らし」に奔っているのだ。彼らはその労働や生活を改善する連帯的な行動ができる組織も思想ももたない一種の閉塞状況のうちに漂っている。社会の構造を変えるには、それこそ「社会保障と税の一体改革」に象徴されるようなまわりくどい政策論議や、即決ができず時に混迷をきわめる政治的民主主義の手続きや、みずからの手になる労働組合の構築を必要とする。そんな余裕も資源もない貧困層はそれゆえ、一挙に「改革」を果たすかにみえる強烈なリーダーシップを発揮する政治に過剰な期待を抱くのである。内橋克人によれば、ハシズムは「貧困マジョリティの心情的瞬発力」(朝日新聞2012.1.8)に支えられている。
鬱憤晴らしは、アトム化した大衆の中ではさしあたり少数派に属する、いくらか恵まれた雇用の立場と生活防衛的ソサエティを擁する階層に向けられる。大阪の場合、地方公務員とその労働組合がその典型である。その点では、橋下政治も2000年前後の大阪に吹き荒れた公務員バッシングと軌を一にするといってよい。例えば大阪交通局の地下鉄運転士など職員の平均年収は734万円、関西の私鉄五社の平均は664万円、バス運転手も平均739万円で民間バス会社の平均554万円を遙かに上回るという(朝日新聞2011.12.24)。橋下はここに襲いかかるだろう。賃金を民間並みにすることをめざす、12000人の大幅な減給が画されている。
国際比較的にみて日本の公務員は少なく、公共部門のサービスは他の先進国より範囲が狭い。けれども、民間労働者と公務員の間の賃金格差は相対的に大きい。ほかでもない、この間、非正規労働者の動員があって民間労働者の賃金水準が著しく下落したこと、公共部門周辺でも、たとえば公共サービスを委託された民間企業の賃金が著しく低かったことが、官民の賃金格差を広げたのだ。だが、そのよって来たるところはこの際、問題にされない。結果として噴出した「公務員は恵まれすぎ」という民間労働者の怨嗟を汲み、「選挙に現れた世論」を大義名分として、橋下市長は、公務員への統制強化と賃金引き下げ、労働組合活動の制限に突き進むだろう。橋下はテレビで「組織は徹底的に競争させるが個人の生活は守る」と述べている。そんなことはあり得ない。もしそうなら、大阪市はすでに破局的な状況になっている生活保護費をいっそうふくらませねばならない。
公共部門の闇雲の削減のもつ庶民の生活にとっての濃い影の部門はとりあえずさておくとしても、このような鬱憤晴らしは、ブーメランのように跳ね戻り、ハシズムの帰依者をふくむすべての働く者の労働条件と雇用をいっそう不安定化させるだろう。
大阪市の公務員労働組合は今、その存在意義を、いや存在そのものの真偽さえ問われる地点に立たされている。そもそもこのような鬱憤晴らしが台頭する背景のひとつには、連合や自治労や大企業別労組が、政策の表明ではともかく、同じ職場で働く非正規労働者の労働条件を標準化という本来の営みにさして行動を起こすことなく、社会民主主義からも離れつつある民主党政治への関わりに頼り続けてきたこともある。例えば、連合はなぜ、派遣テント村の体験を忘れたかのように派遣法改正案の「改悪」(未決)を許してきたのか。自治労はなぜ、今や世界の常識である公契約条例(公務を民間委託する企業に一定水準の労働条件の保障を義務づける制度)の獲得に身を賭した闘いができないのか。ワーキングプアの鬱憤晴らしとしての橋下支持は、連合や自治労や民主党のこのような行動の不可視性も反映しているかのようにみえる。







