
海外旅行のとき、とくにアジア、中東、北アフリカなど、さしあたり「発展途上国」とか「第三世界」とかよばれる諸国を訪れるとき、私は好んでふつうの人びとの写真を撮る。労働と生活の実態を考察するという私の本来の仕事とも無関係でないのかもしれないけれど、深い理由はない。ただ好きなのだ。
そうするようになったのは、57歳の1995年12月、インドのヴァーナラーシー(ベナレス)の喧噪の街をツアーバスで走りぬける際、そこにたむろする人びとをもっと身近に感じたくなり、しぶる添乗員に頼みこんで降ろしてもらったときだった。私は妻とともに、警戒心はもとよりなんの緊張もないという感じで街の人びとにナマステ!と声をかけ、OK?とカメラを向けた。インド人たちのほうも好奇心いっぱいだったのだと思う。
まず、くりくりの目をしたたくさんの子どもたちがわれがちに、ついで笑顔の男たち、それから少し恥ずかしげな女性たちが、いささかも不愉快な顔を見せず被写体になってくれた。そのときの心の高揚を忘れられない。
それ以来、私はどの発展途上国でも、歩く途中で、あらゆる待ち時間に、早朝・夕刻にホテル近くを散歩しては、ほとんど寸暇を惜しんで同じ心の昂ぶりを求めるようになった。たいていの国はひどく貧しく、いくつかの国では内戦の過酷な体験を経ている。だが、そんななかにあって、このように生活の日常は変わりなく、ああこんなにも人びとは穏やかな表情ができる! 私はいつもそう感じ、言いようのないよろこびに心が満たされたものだ。それらの国では、人びとはよくつつましい自宅前で家族とともにいる。
ホームページのプロフィールにも書いたが、私が旅行先を選択する一大基準は宗教文化遺産の豊富さである。だから旅行の写真にも、とくにヨーロッパについては、教会や寺院、絵画やレリーフ、フレスコ、モザイク、ステンドグラス・・・といった美しい被写体が多い。ヒンズー教、仏教、イスラム教などのめくるめくような文化遺産を擁する第三世界についてもまったく同じだ。しかし帰国後に旅行の写真を「見せられる」友人たちがよりつよい関心を示してくれるのは、なによりも人びとの写真だった。広く見られるようになにかのかたちで公表したら・・・と勧めてくれる友人もあった。ここに紹介するのは、それゆえ、これまでの膨大な海外旅行アルバムのなかからわりあい好評だったポートレートだけを選んだものである。もっとも、近年のデジカメによるモロッコの映像を別にすれば、掲載写真はEOS55などのフィルムカメラによる撮影プリントをスキャナーで取り込んだものなので、陰影の雰囲気はプリントそのものとは少し異なってはいる。
およそ15年間に9カ国。いま地図を眺めながらふりかえってみると、ここでの人びとが生きているところはひろく東南アジアから西アフリカにわたっている。風土や習慣や宗教はさまざまであれ、どの地域の人びとの生活も、戦争や飢えや家族の死の苦しみから自由に、平穏であれかしとひたすら祈りたい。
私の写真は「構図」以外のことは意識したことのないたぐいの、しかも苦労のないパッケージツアー途上での、まったくの素人の手すさびにすぎない。プロの眼からみればとるにたりぬものだろう。公開は気恥ずかしい。けれども、どの写真にも愛着はあって、それなりにみられる写真もあるとあえて思いたい。また、9カ国の状況も現時点ではかなり変化を遂げているだろうが、これらの映像は少なくともその時期における人びとの生活の実相は記録しているはずだ。私自身は今でも、これらの「人びと」によって元気を与えられている。