読書ノートから



その8 2011年春 (11.4.6記)

『人権としてのディーセントワーク』のゆるぎなさ

本サイトのトップページにも書いたように、ここ1ヶ月ほどは東北の人びとの日常生活をあまりにも微塵に打ち砕いた大震災・津波・原発事故に個人的な海外旅行が偶然に重なって、平静な読書のゆとりを失っていた。しかし「読書ノートから」はやはり書き続けたい。今回、少し前に読んだものとしてぜひ紹介したいのは、労働法の大家、西谷敏による『人権としてのディーセント・ワーク 』(旬報社)である。

このタイトルが本書の内容をまっすぐに表している。ディーセント・ワークとは本書のサブタイトルである「働きがいのある人間らしい仕事」のこと。それはいま非正規雇用者にも正規雇用者にも、雇用機会の縮小のみならず雇用の質の劣悪化さえもたらしている深刻な労働の状況を総括的に撃つ理念であるとともに、その享受は憲法が保障する基本的人権にほかならない。西谷はこの一点を手放すことなく、雇用形態、賃金決定、労働時間と休暇、職場での自由と権利、職業訓練、失業補償、労働組合活動など労働生活のほとんど全分野を網羅して、現行の法制や判例がどこまで達成しているか、どこに改善すべき領域があるかを、長年の研究蓄積にもとづいて論じている。ここには労働者のニーズに寄り添った良識というもののゆるぎなさがあり、平明に綴られる主張は、やむをえぬ譲歩点も意識されて無理なく、まことに説得的である。

私はかねてから、「いわれなき差別」(人間の属性による差別)と「いわれある格差」(能力や努力の結果による階層形成)との関係にふかい関心を寄せてきた。この問題意識から私はこれまで、労働の状況に関する労働法的なアプローチは、自主的な労働組合の発言力の衰退した日本ではその実践的な有効性が十分に認められるとしても、現時点において枢要の意味をもつ後者、「いわれある格差」については、その鍬入れに限界があるのではないかとひそかに感じてもきた。たとえばある人が非正規雇用に就くのは、低賃金になるのは、差別ではなく、その人の能力にもとづく仕事配分の結果なのだからやむをえない格差にすぎないという見解も多いことだろう。西谷はしかし、私が危惧するこの点にも立ち入って、労働者がしばしば非正規雇用で働くことを「事実上強いられている」ことにも注目し、「いわれある格差」=間接差別の是正、たとえば有期雇用の限定や同一価値労働同一賃金の制度化に巨歩を進めたヨーロッパ労使関係のたゆみない営みを高く評価している。それと関連して西谷が、別の文脈からも、日本において喫緊の課題である長時間労働の是正については明瞭に、私見では当然のことながら日本ではなかなか企業社会に浸透しないワークシェアリングを主張する立場に立っていることにもふかい共感を覚える。また、労働者の行動に関して可能なかぎり「個人の選択権」を重視してきた西谷が、労働者間競争の生む過度の「自発的な残業」については、これを法的に規制すべきだと述べていることも肯ける。

能力主義管理が台頭する原因でも結果でもある、現代日本の労働者の一種のアトム化という思想状況にもう少しふれてほしかったけれど、これはないものねだりというべきであろう。労働法や判決の可能性についてまとまった知見のなかった私が本書から学んだことは数え切れない。労働研究者ばかりでなく労働の状況にいま苦しむ多くの労働者に、これが自信をもって推薦できる労作であることは間違いない。


『アラブから見た十字軍』雑感

さて、シリア・ヨルダンへの旅の機中、イスラムの国々への関心に惹かれて私が読みふけっていたのは、アラブの著名なジャーナリストの歴史書、アミン・マアルーフ(牟田口義郎/新川雅子訳)『アラブが見た十字軍』(ちくま学芸文庫)2001年である。

これまで私が高校受験の準備などで学んできた十字軍史は、西欧キリスト教側を少なくとも行動主体とする記述であったが、本書は、1099年の十字軍──ちなみに本書では十字軍という言葉はまったく使われていない──によるエレサレム占領から1291年にマムルーク朝のスルタンが西欧最後の拠点アッカを奪還して中東における西欧キリスト側(フランク)の支配をついに一掃するまで、およそ200年にわたるそれぞれの「聖戦」の複雑な軌跡をイスラム・アラブの側から活写している。

周知のように十字軍の時代、アラブ世界は、「法制度」を別にすれば、科学のあらゆる分野においてヨーロッパよりもはるかに進んだ文明を誇っていた。後のルネッサンスは当時のアラブの文明の達成なくしては不可能だったという。だが、栄光のアッバース朝衰退期の11~12世紀アラブは、いくつかの古都ごとに存在する都市国家の群生体にすぎず、しかもそれぞれの都市国家間・支配者間では、宗派や部族の違いも絡まった対立が絶えず、1100年代頃までは、曲がりなりにも国家の後盾をもち、聖地奪還を名目とする略奪に駆動されるヨーロッパの騎士・兵士たちの蛮勇に屈しするほかなかった。アラブが反撃に転ずるのは、ザンギー、ヌールディーン、わけてもサラディンの登場を待ってのことだ。英雄サラディンは、ダマスカス、アレッポなどシリアの要衝とエジプトを統一するアイユーブ朝を起こし、アラブ世界の協力を組織して1187年、ついにエレサレムを取り戻すのである。事態はしかし、その後も曲折をまぬかれない・・・。

このプロセスの記述は、よく整理されていて読みやすく、エピソードに満ち人物像の描写もあって、興味のつきない物語である。総じて占領した都市の異教徒に対するフランクの残虐な大量殺戮とアラブの寛容な扱いが印象的だ。当時の裁判のやりかたや医学治療にみる、西欧側のお粗末さとアラブの優越などの対照も鮮やかである。しかしながら、と著者は最終章で問いかける──フランク諸国は二世紀にわたる植民地化の根を引き抜かれ、ムスリムは立ち直って、後に後継者オスマントルコはコンスタンティノーブルを陥落させ、ハプスブルグ・ウィーンの城壁に迫りさえするけれども、その後ひっきょう、世界の中心が決定的に「西」へ移ったのはなぜか。

かんたんに言えば、その後「西」は「東」に多くを学んだ。医学、天文学、化学、地理学、数学、建築学などにおいて、西欧は、すでにギリシャ文明を吸収していたアラビア語の文献を通して成果を汲みとり、それらを同化し、模倣し、そして追い越した。だが、アラブはそうではなかった。フランクはいかに野蛮であっても、その社会には「市民」は領主の専制権力を規制すべく権利を分配されているという考え方が芽生えていたけれども、アラブはこの「西欧的な思想」に心を開こうとしなかった。ジハードの勝利は長期的には皮肉にも、西欧にそれからの世界を支配する発条を、アラブ文明には世界のイニシアティヴを喪失してゆく惰力を与えたのだ。

デヴィット・リーンの名作『アラビアのロレンス』のラスト近くのシーンを忘れられない。ロレンスの率いるアラブ連合軍は勝利してダマスカスに入城するけれども、部族対立から統治能力を失い、狡猾なイギリスの実質的な支配を受け入れざるをえなくなる。そのときベドゥインの一領袖(オマー・シャリフ)の語る言葉が心を打つ──(それでも私は)「ここに留まって政治学を学ぶ」と。