読書ノートから



その10 2011年盛夏 (11.7.10記)

若者がユニオンにたどりつく軌跡──『若者の労働運動』

橋口昌治『若者の労働運動―「働かせろ」と「働かないぞ」の社会学』(生活書院)は、労働からの自由を希求しながら、労働市場において周辺化され排除されているゆえにかえって処遇の劣悪な労働に拘束され続ける、結局、自由のためには労働問題から正面から取り組むほかはない──そんな不安定雇用の若者たちが主人公である。橋口は、彼ら、彼女らはどのような生活史・精神史を経て労働組合というそれまではなじみ薄かった連帯に辿りつくのかを、「ユニオンぼちぼち」、「首都圏青年ユニオン」、「フリーター全般労組」、「フリーターユニオン福岡」の担い手たちとそこにやってくる若者へのくわしい聞き取りを通じて明らかにしている。

この興味深いテーマの本書にも不満がないわけではない。たとえば橋口は、理論篇ともいうべき第1章において、若者たちが従来の典型的な組織労働者の規範ではなかなか理解できない願いやビヘイビアを示す背景を、近代以降の労働を中心とした「労働社会」と20世紀以降の雇用労働を中心とした「雇用社会」の両者がともに動揺・変容しているにもかかわらず、人びとは生活のためにやはりこれまでとさしあたり変わらない働き方を迫られるという矛盾に求めているようだ。多くの文献の博引旁証をもって綴られるここでの考察はしかし、労使関係研究に慣れた眼からみれば概念規定が曖昧なうえ史的な段階区分の意識がよわく、クリアーとはいえないように思われる。

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また、それと関係して、本書の関心が、たとえば石田光男らが立ち入って追求してきたような(欧米と対比しての)日本の企業社会についての特徴把握などには及ばず、したがって「貧困」ではないにせよ耐え難い拘束のなかにおかれている若手正社員にとっての組合活動のニーズ、そのむつかしさ、その一縷の可能性の模索などにまったく関心を寄せていないことも、私にはやはり物足りないのである。  にもかかわらず、本書の各論部分が伝える語りの多くはすばらしい。有益なヒアリング事例のなかでひとつだけ、37歳の女性「Hさん」の物語を紹介しよう。

20歳のとき大手アパレル会社に就職した「Hさん」は、デパートで働き、「付き合いで」(私見では、デパートがその一角に出店させる企業に課す売上げノルマを果たすため)自腹で衣類を購入させられる。ストレスから摂食障害にも悩んだ。約2年後、会社を辞め、テレビ番組制作のアシスタント・ディレクターになる。仕事のないときは「水商売」で凌いだが、あれば「雑用」で、しかもあってなきがごとき労働時間制。今度は「鬱病っぽくなって」クビになった。しかし、ここが「底つき、最低ライン」と感じ、彼女は仕事を辞めて「自助グループ」に通いはじめる。30歳になる頃には健康も取り戻し、職業訓練を受けてカメラマンとして食べてゆけるようになった。

それでもHさんはフリーランスで、発注会社が20万円~30万円で請負って紹介する仕事でも3万円の収入にしかならなかった。彼女は、フリーター全般労組に加盟し、同業者とともに「ムービーユニオン」を立ち上げる。ユニオンは、仕事に不可欠な経費の算出を通じてカメラマンたちにみずからの技術の「適正価格」を自覚させ、主観的には「自立」を誇っていたフリーランスに「労働者性」を発見させたのだ。要求をまとめ上げた「価格表」もつくられた。欧米伝統のクラフトユニオンのようである。

Hさんは、それまでの自分をこう語る──撮影や接客の技術、女らしさ、「そういう部分で」自信がなく、「自己肯定みたいな部分が低いと、何ていったらいいんだろう、賃金や待遇で主張してはいけない」、立派な労働者だったら主張できても「『自分は無理』ってどっかでずっと思ってきたから、だから労働組合にたどりつけなかった部分があると思います。・・・20代にキャパで働いていたときも、アイフルでティシュ配ってたときも、明らかに『あたしは労働組合では守られない』ってどこかで思ってた」と。そして今、彼女が思うに、労働組合とは、「劣等感を刺激して競争させる社会とは異なる空間」、「低い自尊心や自己肯定感しかもてない人びとが」支援を求めて辿り着けるような居場所でなければならない・・・。

不遇の体験の重なり、それでも自分は「労働組合では守られない」というかつての思いこみ、それでもついに辿りついたユニオニズムの実績と組合へのしかるべき期待。本当によく理解できる。ふかい感銘を禁じえない。今なによりも解明が急がれる現代日本の労働者のこのような心の軌跡という曖昧な領域に、本書の光が及んでいる。


猛暑の季節にお薦め──推理・サスペンスの4作 

長年の習慣として私は就寝前のひととき、よく推理・サスペンス小説を楽しむ。しかし高齢化とともに、深夜の読書はよほど「おもしろく」または切実で「泣かせる」作品でないとすぐ眠くなってしまうようになった。最近の外国の評判の作品などは、かつて愛読したアガサ・クリスティ、ルース・レンデル、コリン・デクスター、トマス・H・クックの「記憶三部作」、ロバート・ゴダードの初期作品(イチオシは『リオノーラの肖像』である)などと違って、事件の背景となる地域社会のありようなどを、部厚い文庫2冊にわたってじっくりと書き込みすぎることが多い印象で、脇役があまりに多彩にすぎたり細部の描写や会話がくわしすぎたりすると、「それがどうした?」とついいらいらしてしまうことさえある。そんなわけで、しっかりした評価の上に立つ推薦とはとうていいえないけれども、この機会に、この10ヶ月ほどの間に読んだこの分野の外国作品のうち、「いらち」の本読みにも、猛暑の季節にも耐えられると感じる私なりの4作を、内容のくわしい紹介ぬきであげてみることにしたい。


(1)ジェフリー・ディーヴァー『獣たちの庭園』土屋晃訳 文春文庫 2005年

ドイツ系アメリカ人の殺し屋が、政府の罠にはめられ、ナチス治下ドイツ再軍備の鍵を握る冷血の高官の暗殺を請け負わされて、1936年のベルリンに潜入する。錯綜する物語のおもしろさと緊迫感はなまなかのものではないうえ、ナチス親衛隊とは価値観を異にする刑事警察の名警視の苦悩が、本書にみごとな陰影を添えている。

(2)アン・クリーヴス『大鴉の啼冬』(創元推理文庫)玉木亨訳  創元推理文庫 2007年

寒々したイギリスのシェトランド島での驕慢な女子高校生の殺人事件。その意外な真相に地元警察の警部が迫ってゆく。あたかも美しく沈んだ色彩の名画のように、この辺境に生きる階層さまざまの人びとの、不確かな希望に縋る人生が浮かんでくる。

(3)ナンシー・ピカード『凍てついた墓碑銘』(ハヤカワ・ミステリ文庫)宇田川晶子訳   早川文庫 2009年  

人間関係の濃密なアメリカの地方都市での若い女性の謎の死。17年前に連携してそれを隠蔽した旧世代。息子たちと娘はそのことでずたずたにされ苦しむけれど、ついにはその世代が真相を直視し事件を解決することを通じて新しく歩みはじめる。複雑な事情による陰惨な事件の描写の彼方に、爽やかな読後感を残す傑作である。

(4)キャロル・オコンネル『クリスマスに少女は還る』務台夏子訳 創元推理文庫 1999年

クリスマスを控えたアメリカの地方都市で誘拐された2人の少女を、過去の同様の事件で心身の傷を負った刑事と女性心理学者が懸命に追う。一方、少女たちは力を合わせて犯人に立ち向かう・・・。私は異常者を犯人とする物語はあまり好きではなく、また中盤はいくらか冗長の感を免れないけれど、わずかにSFの要素を含む精緻なプロットの結末はとても感動的である。誘拐された少女のひとり、ホラー好きの問題児サディーの鮮やかな魅力が印象的だ。おかえり、サディー! と言いたくなる。