読書ノートから



その13 2012年立春 (12.2.8記)

公務員の<やる気>をめぐって──太田肇『公務員』の示唆

名古屋や大阪にある種のポピュリズム的な首長が登場するなか、80年代半ば以降から続いてきた公務員バッシングは、あらためて熾烈になったようである。

公務員は俗に「休まず、遅れず、仕事せず」と言われる。それなのにその給与水準は一般に、とくに市町村では、民間よりも相対的に高く、さまざまのセーフティネットも行き届いている。そんなことから「市民」はしばしば、ワーキングプアもふくめて、「税金で飯を食う人が税金を払う人よりも恵まれているのはおかしい」と言い募る首長候補者の公務員とその労組に対するバッシングの熱狂的な支持者となっている。官民格差の拡大は、なによりもこの間の非正規雇用の激増などによる民間労働者の労働条件の大きな低下によるものにほかならず、また日本の公務員は国際比較的に見てきわめて少ない。だが、このごろ万事、閉塞感に悩む庶民は、そんな原因論・構造論には聞く耳を持たず、いうならば鬱憤晴らしに奔る勢いである。

とはいえ、確かに私たちは、大震災時の敬服すべき奮闘などをさておけば、日頃接する公務員の働きぶりには不満を感じることが多い。例えば労災に関する労基署職員のおざなりな調査などその代表的なものであろう。しかし、現在のような公務員バッシングは、公務員から精鋭会社員のような「やる気」を引き出すに有効だろうか。

ずいぶん前置きが長くなったが、太田肇『公務員革命―彼らの〈やる気〉が地域社会を変える』 (ちくま新書) )は、上の問いに明瞭に否!と答える。長年、働く人びとのモチヴェーションのありようを関心事とし、その観点から日本的経営の批判的検討を重ねてきた太田は、ときにみられる安定に寄生した怠けの摘発と人件費節約をめざして、成果主義の導入および査定の強化によって処遇格差をもたらし、細かい規律の違反に懲戒処分を課すようなマネジメントは、これからは公務固有の領域でも、NPO・運営委託企業・ヴォランティア団体との業務協力の領域でも、すぐれて専門的かつ創造的な能力を要請される公務員──太田はベンチャー企業の経営者のような公務員をモデルとするかにみえる──の<やる気>をむしろ削ぐというのである。

これまでの研究蓄積とヒアリングを生かした多面的な考察や提言は、細部では異論の余地こそあれ、例えば、公務労働の査定などまず三段階以上の評価は無理と述べるなど、総じて説得的だ。すべてを紹介できないが、私が主張の核と理解した箇所を示そう。太田によれば、公務員の<やる気>を引き出すものは、なによりも(1)自律:仕事の遂行手順、仕事を進める時間や態度、将来のキャリア選択という三面における自律(選択の自由)を保障する、(2)承認:これまでの減点評価の匿名の仕事という組織の掟を見直し、個人名のついた「私の仕事」の良好な成果を顕彰する、(3)夢:従来の役所仕事の枠にとらわれない大きなプロジェクトに挑戦させる──の三点にまとめられる。要するに小粒の優等生のまま、失敗したり批判されたりしないように万事無難にと萎縮してしまっている公務労働の風土を変えよというのである。

私はこれまで、太田肇の「個人尊重の組織論」に一定の距離感を感じてきた。太田の見解は結局、労働市場の流動化や成果主義的処遇の正当化に通じるのであって、それは「ふつうのノンエリート労働者」にとって厳しいだけの世界をもたらすものと思われたからだ。だが、この本ではとくに自律性の徹底的な擁護論に、かつて私も論じた労働疎外克服論(仕事におけるPowerlessnessへの挑戦)を思いおこして共感を覚えた。太田が公務員の新しい働き方を説くとき、その立場は日本的経営に対する太田の批判点と重なってもいる。しかし、この論調は、太田本来の成果主義の擁護?とどう関係するのだろうか。それから、この本での太田の視線は直接に地方行政の質を左右する中・上級の公務員に限られており、臨時雇用とされ、あるいは民間委託される多くの下層公務労働の担い手たちには届いていない。その点に関連して、これから深刻な争点となる現業をふくむ公務員の労使関係についても発言がほしいところである。

とはいえ、これらは外在的な批判にすぎない。扱われているテーマに関する限り、これは信頼できる経営管理研究者による、有意義な公務員労働モチヴェーション論である。長年、人はなにによって働くかを考えてきた人の成熟の眼がここにある。


東北の出稼ぎの村から──詩集『村の女は眠れない』

「村の女は眠れない」という詩をご存じだろうか。ときは高度経済成長期、一年のほとんどを関東へ出稼ぎにゆく夫を待つ、独り寝の村の女の官能の苦しみを生々しく表現したこの長詩は、当時のマスコミにも紹介されて大きな反響を呼んでいる。

作者は1927年生まれ、60年代この方、農業基本法や減反政策のために「百姓」たちが続々と東北の地を離れて東京の飯場や工場に働きにゆくなか、福島県は阿武隈の山村(いわき市)に残って、1.2町歩の田畑を耕しながら、その場から農村と農民の生活の崩壊を告発する詩を書き続けた草野比佐男。私は最近ブックオフの100円コーナーで草野の詩集『定本 村の女は眠れない』梨の木舎(2004年)を見つけて、若い日に受けた衝撃を思い起こし、あらためて全収録作品32篇を読んだ次第である。

この詩集は、小熊秀雄や石垣りんなどの作品と同様、少しもわかりにくい処はない。草野は、国家と経済に翻弄しつくされて、土地とともに、四季の自然の恵みのなかで営まれた家族との生活を失ってゆく村の荒廃を、正月三が日以外は一人残されて細々と農作業をする妻、出稼ぎ者のマイクロバスを追う燕、捨てられた飼い犬、あるいは妻を道路工事の交通整理で働かせながら孤独に原稿を書く作者自身などの眼をもって刺し通す。けれども、ここでもっと注目すべきは、村の荒廃をもたらした国の農業政策や高度経済成長期における労働力需要の企業論理への告発以上に、テレビや電気冷蔵庫のために動員に抗うことなく靡いてゆく人びとへの批判を込めた訴えであろう。

出稼ぎの夫たちは、正月に帰ってきて「ふたこと目には/稼ぎやすい都会のおもしろさを言い/米の収穫高もついに聞かなかった」り、「1日で炉端に飽いて」むしろいそいそと「七草粥も祝わずに」また働きにゆくようになる(「あれはあなたかしら」)。草野は「女が眠れない理由のみなもとを考えるために帰ってこい」とよびかけ「女が眠れない時代は許せない/許せない時代を許す心情の頽廃はいっそう許せない」(「村の女は眠れない」)と断じる。強制連行を拒む朝鮮人がかつて釜山に向かう列車の鉄橋から続々と飛び降りたことを感動的に語ったあと、草野がこう続けるとき、そのメッセージは鮮烈である──「まこと君らの運ばれる場所は/朝鮮人民の場合の日本/きみらはそこで粗朶のように無造作に束ねられる/先着の仲間の骨に遇うだろう/この先も茄子の馬の盂蘭盆へ/かまくらの正月に/帰れると信じる根拠はなんだろう」(「人狩りの季節に」)。だから帰ってきて「むらのなかでたたかえ」(「檄」)。

とはいえ、草野はこのような反高度消費社会論や一種の農本主義的なスタンスがすでに「最後のモヒカン族」の思想であることをよくわかっていたはずだ。哀惜はあれ希望に満ちた「三丁目の夕陽」の時代であった。「中央はここ」(村)と叫んでも村人は上野駅という中央の門口に引き寄せられる。草野は孤立する。それゆえ「耕地を踏みにじって近づく工業よりも/高度経済成長よりも/国家よりも国家権力よりも/いまもっとも憎いのはきみら/仲間のきみら」(「憎いのはきみら」)、つまり村人であった。だが、それゆえにこそ草野は最後近くに書く──「友よ/と おれはしかし・・・熱い心で呼びかけずにはいられないだろう/肩を組む仲間はとどのつまり/きみらをおいてないだろう」(「友よ」)と。

時代の流れに抗って敗北を余儀なくされる思想、しかもどこまでもその流れに身を任せた当の庶民を主体として闘う思想。そこに固執する者にとって不可避の矛盾を直視しようとする気概が私の心をうつ。ちなみに70年代に稼働しはじめる東電の原発は、福島の女たちを眠れるようにしたのだろうか。